2026.02.25
恵みの雨となるか
昨日とはうって変わり、本日2月25日は雨でしたね
天気が良いのも気持ちがいいですが、雨も降らないとお野菜も育ちません
スーパーに並ぶ野菜たちも例年より小ぶりだったり、ものによっては高かったりと、どうしてもお天気の影響を受けているのがわかりますよね
この久々の雨が恵みの雨となるかどうか
東淀川区では、午後の早い時間にはすっかりあがって、日差しさえ出ていましたが
超ド級の田舎に祖父母と住んでいた時期がある筆者は、農家のしんどさをこの目で見てきましたが、気候に左右されてしまう田畑をオールシーズンお世話をする方々には頭も上がりませんし、足を向けては寝られないな、とつくづく思います
雨が降らないと植物の育ちが悪くなりますので、お米や野菜に影響が出るのは誰でもわかることですが、意外と盲点なのは、エサを求めて野生の動物たちが下まで降りてきてしまう、という点でしょう
一時期、メディアがクマ問題を取り上げておりましたが(今は一体どうなっているのでしょうか・・・)、筆者がいた田舎もイノシシやらひどい時には鹿まで降りてきて、畑の野菜を食い散らかす、といったこともありました
早朝にいつものように畑へ行った祖母が悔しそうに、
「やられた!!イノシシがきとった!!
」
と、ダメになってしまった野菜をかごにいれて自宅に戻ってきたことがありました
時には、甘くておいしくできたトウモロコシもやられたこともあり、その時の祖母の様子は怒りを通り越して、非常に無念と言いますか、ぶつけようのない悔しさと、ガックリと肩を落としてなんともやりきれない、といった様で今でも印象に残っています
確かその時のトウモロコシは、祖母が「今までの中で一番上手にできた!!
」と喜んでいましたから、余程ショックだったのでしょう
罠をしかけたりするのも、費用がかかるし手間もかかる
それを身近で見てきた者としては、自然と向き合いながら野菜やお米、果物などを育てる方々すべてに感謝を忘れないでありがたく頂こうと常々思います
今日の雨が少しでも恵みの雨になればいいなあ、と感じた日でした
2026.02.24
季節外れに春めいて
なんという穏やかであたたかな一日だったんでしょう
本日2月24日の大阪はなんと20度越え
驚くほどぽかぽかな一日でしたね
これだけお天気が良いと、お外に出よう、という気持ちになります
薩摩自動車の社長も、寒い時期はあちこち痛みが出てくるようになってきたので、無理はせずゆっくり過ごすのですが、今日は洗車場前で日向ぼっこをしたり、工場の周りを杖をもって散歩したり、と久しぶりにアクティブに動いておりました
身体が動くと社長の植木達にも手が回りますので、心なしか植木の植物たちも元気になったような気さえします
いつの間にか、工場の周りに置いている植木達の姿がほんの少し変わったようです
社長が朝からじっくりいじっておりました
可愛い赤い実もついて、今日の青空と太陽の光に照らされて、キラキラしていました
筆者は、植物を枯らす選手権があったら間違いなく金メダルとっちゃうタイプなので、観てるだけにしておきます
とはいえ、まだ2月なので油断はできませんが花粉も同時に出現しておりますので、みなさまお気を付けくださいませ

しっかり葉と枝を広げて、存在感がスゴイ(笑)

可愛らしい赤い実をつけて、中心に君臨する立派な姿よ
2026.02.20
なんだかんだ言っても結構カラダは覚えてる
突然ですが、みなさんは車の免許を取るときオートマ車限定でしたか?マニュアル車でしたか?
昔と違って、今はほとんどの車がオートマ車なので新しく免許を取る人たちはほぼオートマでとるそうですね
筆者は最近まで知らなかったのですが、現在はマニュアル車をとろうとすると別途お金がかかるそうです(おどろき)
トラックでもオートマ車にかわってきているのですから、当然の流れなのでしょうね・・・

車の運転が苦手であんまり好きではない筆者は、一応マニュアルで免許を取りました(今は亡き祖父に当然のように言われるがまま)
おかげさまで、毎日教官に怒られ(もう30年も前の話)運転がすっかり嫌いになりました(笑)
運転免許をとったときに住んでいた場所がドがつく田舎でしたので、車が必須でしたし、祖父母の送迎をしたりもしました
社会人ともなると祖父が勝手に古~い三菱ミニカをいつも入れている整備工場で18万で買ってきて(30年前です)「コレに乗れ」と言われ、毎日通勤で駅まで使ったり、遊びに行くのに使ったりと、とにかく車を運転していました
その三菱ミニカは当時車のことがよくわからない筆者が見ても「古っっっ!!!!
」というフェイスの車でしたが、祖父は、
「コレは新車で買った人がほとんど乗ってなくてずっと車庫に入れていた車だから程度がすごくいい。新品同様だ。」とかなんとか言っていたような気がします(もう記憶がおぼろ)
確か、5代目(1984年-1989年)H11A/V・H12V・H14A/V・H15A/V型 のタイプでした
まあかなりの田舎なので前乗っていた人が誰なのかもすぐわかる環境でしたから、本当にかなり程度は良かったのでしょう
今なら車検証の見方もわかるし、オイル交換の大切さや日頃のメンテナンスの意味も理解できるし、車検代の内訳もよくわかるのですが、当時の筆者はまだ二十歳の小娘
車なんて乗れればいい、じいちゃんが勝手に買ってきたダサい車、車検代とか保険料とか高すぎるし、オイル交換とか意味わからん、といったレベルでした(笑)
「車が欲しいなんて私言ってないし」くらいの勢いの生意気なこどもでした
なので、車を大切に乗るといったこともなければ、オイル交換なんて自分で一度もしたことはないし(みかねたじいちゃんがしていた)、よくガス欠寸前まで乗ったりして、本当に無知とは怖いですね(笑)
ベルトが切れて道の真ん中でとまってしまったり、バッテリーが上がってエンジンがかからなかったり、タイヤがパンクしていることにも気づかず走行し続け、えらい音を立てながら修理工場に泣きついたこともあります(ひどすぎる)
そんな筆者ですが、ミッション車に乗り続けること5年
田舎なので祖父の軽トラやセダンタイプも運転していました(飛び出してくるとしたらタヌキくらいなので)
ひょんなことで整備士と出会い、結婚に至りますが、当時筆者の田舎のミニカを見たときの整備士はプチ感激
「うおぉ!!スゲェ!!古っ!!(←嬉しい方の言い方)ミニカやん!!
」
なんてこともありながら大阪にきて、ミッション車に乗ることがほぼなくなった筆者ですが嫁いだ相手は車の修理工場の息子
大阪に来たばかりの頃はミッション車に乗ること自体はどうってことはありませんでしたが、実際ほとんど乗ることはありません
乗る機会があんまりないまま過ごし、最近になって代車のミッション車を動かすことがあったとき、かなり怯みました
軽トラや幌車をガレージから持ってくるときなどですね
整備士も従業員M氏もいないときにどうしても持ってこなくてはならない場面があったりして、動かすときがあります
かなり緊張しながら左足のクラッチと左手のギアチェンジ、半クラの塩梅を考えて動かします
あ・・案外イケる
人間とはえらいもんで、カラダがきちんと覚えているものですね
全然足も手もちゃんと動きます
「おお、私運転できるやん
」
なんて気分も上々
だがしかし、それは近距離限定、前進走行のみ
バックや、坂道発進などもってのほかです(すごい音をたてて、結局エンストします絶対)
それでも、感覚というかカラダはきちんと覚えてるもんなんだなあ、とちょっと感心しちゃいました
まあ、下手は下手なのですがね(笑)
2026.02.18
3月に向けて忙しくなってきました
3月は決算月だったり、車の税金が翌4月に反映されてくる月なため、登録申請やら車検やらでなにかと検査場がとっても混みあいます
ですので、世の中の自動車修理工場やディーラーさんなど、薩摩自動車も例外なく忙しくなります
2月もアップアップしながらこなしておりますが、徐々に増えてきておりましてなかなかお客様のご希望にお答えできなかったりして、大変心苦しいです

いつもご連絡を頂いているのに、その時に予定を立てられず、車検満了日ギリギリになってからの連絡で誠に申し訳ございません
でも、薩摩自動車の整備士はお客様の車検満了日を忘れてはおりません
常に頭の中でみなさまの、
車検のお車をどこでどう入れよう
代車がこの日に戻ってくるだろうから、ここで連絡しよう
〇〇さんは夕方でないと来られないから△△さんに午前中に来てもらうようにしよう
と、たくさんのことを考えてパズルのピースを埋めていくように予定を張り巡らせております
お待たせしてしまうことも多々ありますが、今後とも何卒宜しくお願い致します
スタッフ一同、頑張ります!!
2026.02.17
冬季オリンピックでアスリートの方々が頑張っていますね!メダルも素晴らしいけれど、怪我やスランプ、トラブルに遭いながらも最後までやり遂げるアスリートのみなさんの精神力や体力、芯の強さにはいつも感心するばかりです。そんな中、冬季オリンピックの競技のひとつ、クロスカントリースキーというスポーツについて、今日は触れてみたいと思います。
雪上のマラソン
過去ブログでも書いていますが、筆者は北陸地方に住んでいたことがあります
それまで雪なんてちょっと降るくらいの関東にいたため、北陸の本格的な雪国の暮らしには驚くことばかりで大変な思いもしました
小学校の体育の授業は、冬だとスキーの時間があったり、雪が降ったら1時間早く学校へ登校してみんなで雪かきする、とか慣れないことばかりで子供ながらにカルチャーショックを受けた記憶があります
今、冬季オリンピックでたくさんの競技が行われていますが、その中のある競技を見る度に辛かった記憶が筆者の中でふつふつとよみがえることがあります
それは、ノルディック複合の中のクロスカントリースキーです
2018年の平昌オリンピックで、ドイツの3選手が圧倒的な強さを見せ、その戦略や黒のスキースーツ姿からガンダムの黒い三連星(ドム)と喩えられていた競技、といえば記憶に新しい方もいらっしゃるのではないでしょうか
実は筆者、北陸の富山にいたとき、中学校の冬の宿泊イベントでクロスカントリースキーをやったんです(もちろん全員)
クロスカントリースキーなんて知らないし聞いたこともない
その中学校の宿泊イベントも、言ってみれば夏の林間学校の冬バージョンみたいな感じで、その学年になれば毎年恒例で行われているものだったかと思います
しかし、筆者はスキー板もスキーウェアのなにもかも持っていません
周りのクラスメイトは全員持っています
記憶があいまいですが、おそらく借りたのではなかったか、と思います
結論から申しますと、クロスカントリースキーは地獄のようでした
クロスカントリースキーとは
雪で覆われた起伏のあるコースをですね、スキーで滑るわけではなく、かかとの固定されていないスキー靴とスキー板で、ストック2本を使ってゴールまで移動するのです
かかとが浮くんですよ
スキーだとしっかりスキー靴を固定しますでしょ?
それが、かかとは固定しないんです
だから歩ける
だがしかしこれがまたキツイ
歩けるといってもスキー板履いていますから、滑るように進まないといけないし、なにより上り坂もあるわけですよ
スキーで滑るときは特に両手に持つストックってそこまで使わないじゃないですか
しかし、クロスカントリースキーではこのストックがかなりありがたい存在
ストックで自分を引き上げながら進んだりしないととにかく足にくる競技なので、ストック大事(時々杖にもする)
生徒全員がグループごととはいえほぼ一緒にスタートして同じコースをいっているはずなのに、途中誰もいないんです
真っ白い雪道を「もうやめたい」「もうぬぎたい」「もう座りたい」「てゆうかなんで誰とも会わないの?もしかしてあたし1人だけ?」といった邪念や不安と戦いながら一人でとにかく進むしかないんです
誰か来た!と思っても、雪に慣れた子供たちばかりなのでどんどん先へ進んでゆく・・そしてまた一人・・
雪上のマラソンと言われているそうです
進めども進めども見えぬ終着点
誰もいない雪道
マラソンの方がマシ、と思ったくらい「辛い」にプラスアルファで「足の痛みによる疲労困憊」
足首が固定されていないが故に、スキー板が重くてしんどい
とにかく不自由なんですよ
不自由な中、雪道を登ったり移動しないといけなくて
「なんなんだ!これは!てゆうか一体なんのためにあるんだ!!

」
と、心底ムカムカした記憶しかありません(笑)
あの時ほど「滑りたい
」と思ったことはありません(滑ることがどれほど楽だったか、ということを実感した瞬間)
どうやってゴールしたのか、何番手くらいでゴールしたのかすら記憶に残ってなくて、
とにかくしんどかった、辛くて泣きたかった、孤独だった、足が痛かった、スキー板が重くて嫌だった
とか、そんな記憶しかないです(笑)
同い年の子たちが当たり前のようにやってのけていることが信じられなくて、クロスカントリースキーという競技そのものがとても嫌な記憶として残っています
だから、この競技をやっているアスリートの方々には尊敬の念しかありません
ドイツのドム3人も、今回最後の最後であの上り坂を走っていったその様をクレボ・ステップと名前までつけられたノルウェーのクレボ選手も、人間離れしている体力とスタミナと精神力を持っている、と言わざるを得ません
筆者は、二度とやりたくない、と思った競技です
今日はそんな苦~い思い出のあるクロスカントリースキーの思い出話でした